2018年11月5日、横浜市金沢区で親子2人暮らしだった当時49歳の長男が、76歳の母親の遺体を半月ほど放置したとして、死体遺棄容疑で逮捕された。
神奈川県警金沢署などによれば、母親は「凍死」だった。
長男は、約40年にわたり、ひきこもり状態にあった。小学生の頃から他人と会話ができなくなり、自室から外に出ることもなく、母が生活を支えていた。
母親が亡くなったとき、自宅には、アナログの着信番号の出ない固定電話しかなかった。携帯も持たず、警察に知らせたくても連絡を取ることは不可能だったと思われる。
別居していた妹の携帯には、1度だけ着信の履歴が残っていた。妹は、母親が電話をかけたのかと思い、自宅にかけ直したが誰も出なかった。
「兄は、母の異変を自分に知らせたかったのではないか」
妹は今、そう振り返る。その1カ月後、妹が気になって実家を訪ね、変わり果てた姿の母親を発見した。母の遺体の上には、布団がかけられていた。
逮捕された長男は、捜査員とも筆談でやりとりをしたという。それでも、逮捕時には実名で報道され、一部のメディアでは顔まで流された。
筆者は長男の逮捕後、妹から相談を受け、すぐに弁護士を紹介した。弁護士は翌日には警察署に接見に行ってくれて、やはり長男と筆談でやりとりした。弁護士が交渉してくれたこともあり、長男はその後、不起訴になって釈放され、自宅に戻ることができた。
妹が実家に入ると、部屋からは「私やあなたが死のうと思ったときは一緒に死のうね」とつづられた母の長男に宛てた置き手紙も発見された。
遺体発見当時、部屋には数十万円の現金と、通帳にも貯金が残されていた。母親が長男の生活費のために残していったものだと思われる。
一方、発見されるまでの半月間、長男が家の中にある食べ物をあさったのか、冷蔵庫の中は空っぽだった。エアコンは長期間使用された形跡がなかった。2018年の夏は猛暑だったにもかかわらず、節約していたのかもしれない。
長男は、事件当時49歳。幼稚園の頃は、友だちとは話すのに先生とはいっさい話さない状態で、小学校に入学してからも同じ状態が続いたという。
母親が教育相談に行くと、「緘黙の疑い」があると告げられた。小学5年の頃から学校にも行かなくなり、「怖い」と言って、自室にこもるようになった。
それでも、10代後半になるまで家にいるときは家族と普通に会話もし、共に外出もしていた。
しかし、高校生くらいから、家族との会話も徐々になくなっていく。コミュニケーションは、置き手紙で行うようになった。
2013年に父親が他界したときも、長男は家から出られず、葬式にも出席しなかった。父親はそれまで、長男がひきこもっていることを親戚にも隠してきた。
葬儀のとき親戚から「あれ、お兄ちゃんは?」と言われ、初めて知られることになったという。
父親が亡くなってから、長男は母親との2人暮らしになった。当初、長男は自室の戸を閉め切っていた。
ところが、「寂しい」と母親が漏らすと、長男は戸を開けるようになったという。
以来、長男は、皿洗いをしたり、家庭菜園をしたり、捨てる段ボールをまとめておいてくれたりと、
生活の手助けになるような家事をこなしていたことが、記録から読み取れる。
長男は会話をしないながらも、母親が家庭菜園の種を「買ってこようか」と置き手紙を置いておくと、「買ってきて」と手紙で返事をしたり、
収穫した野菜を「収穫したから食べて」という手紙とともに置いておいたりするなど、母親との間にはコミュニケーションがあった。
一方、母親は自分に万一のことがあったときのことを考え、2013年に区役所に相談に行っている。
自分が亡くなったあと、長男の生活が困窮してしまうことを心配したようだ。
しかし、持ち家だったため、生活保護を受給することができなかったという。
理由は不明だがその後、相談は中断され、何か支援が開始されることもなかった。
2年後の2015年、妹は嫌がる母親を2カ月にわたって公的機関などに相談するよう説得。
ネットで「ひきこもり支援 横浜市」と検索すると、「横浜市青少年相談センター」が出てきた。妹は「青少年と書いてあったので、40歳以上は対応してもらえないのでは」と躊躇したものの、思い切って電話してみた。
しかし、「40歳以上の支援は対応していないので……」と断られ、紹介された区の保健所に自分で番号を調べて連絡した。
電話を取ったケアマネージャーが「自宅を訪問してくれる医師がいるから」と、2015年4月から、月1回の訪問看護が開始された。
ところが、2018年の2月、母親のほうから「とくに様子がかわらないから」と、訪問看護を終了したいという申し出があった。
おそらくは、金銭的な面での負担が大きかったのだろう。
訪問看護以外にも、母親は長男の生活を心配し、障害年金の申請を行おうとしていた。
長男は幼少期から「緘黙性障害」を疑われていたため、障害年金を受給できるという判断だった。
母親はケースワーカーとともに年金係を訪れ、必要な書類などを受け取り、次回訪問時に年金を申請する予定だった。
しかし、ケースワーカーの異動や依頼していた社会保険労務士が病気で亡くなるなどの不幸が重なり、結果的に障害年金は申請されることなく、宙に浮いたままになっていた。
つまり、母親は、自分の死亡後の長男の生活を心配して、実際に行動に移し、訪問看護と障害年金の申請という具体的な支援に一度はつながったにもかかわらず、
支援の途絶によって、生活に何の変化も起こらないまま、亡くなってしまったことになる。
母親が2018年2月、「支援はもういいです」と断ったのも、妹に「支援は嫌」と不満をもらしていたのも、
このように「助けを求めたのに何も変わらなかったことが原因だったのではないか」と、妹は納得できずにいる。
自分が亡き後との長男をどうにかしようと奮闘していた母親にとって、それが途切れたことは、生きる希望を失うことに近かったはずだ。
子供が無職なのに精神科にだけは連れて行きたくない親はいる
子供より世間体優先したということか
ちゃんと家事はしてたんやな
今も生きてるなら診断受けたら分かるんやないの
診断さえあればもっと話は早く進んだかもしれない
辛い
>母親はケースワーカーとともに年金係を訪れ、必要な書類などを受け取り、次回訪問時に年金を申請する予定だった。
しかし、ケースワーカーの異動や依頼していた社会保険労務士が病気で亡くなるなどの不幸が重なり、結果的に障害年金は申請されることなく、宙に浮いたままになっていた。
これなあ…
元スレ:https://eagle.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1658358285/
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