高級霊と人霊。何が違うのか。
霊視で感じたものを伝える。
まず天照大神を霊視すると、女性的な広がる上品で精妙な大きな愛のエネルギー。
独特の雰囲気がある。
イエスキリストを霊視すると、太陽のような勇者のような強い愛のエネルギー。
ブッダを霊視すると、暗いが宇宙の暗闇のような深遠な意識エネルギー。
そのように高級霊の内面は感じられる。
天照大神、イエス、ブッダ。
彼らは神界に存在している。
神界に対応する身体は神体なので、彼らにはもはや幽体も霊体も存在しない。
脱ぎ捨てて、神体のみの存在となっている。
神体の特徴とは、大いなる愛のエネルギー。
なので神界に存在する他の高級霊たちもみな、愛のエネルギーとして存在している。
だけど霊視で感じられたように、その愛のエネルギーにも個性がある。
天照大神とイエスではその雰囲気が違うのだ。
しかしもはや人間性を感じられないくらいの、純粋な愛のエネルギー体となっている。
では人間を霊視するとどのように感じられるか。
まず感情が感じられる。そしてエゴ性も感じられる。
モワモワとした情愛のような雰囲気も感じる。
これらは幽体があるゆえの特徴。
人間は肉体と同時に幽体も持ってるので。
幽体が浄化され完全に消えると霊体に意識がシフトする。
霊体は幽体と神体の中間。大いなる愛の意識エネルギーへの目覚めであり、
自我を捨てる段階。
人には肉体のほかに、幽体、霊体、神体が同時に存在している。
しかしほとんどの人の神体は眠っている状態。
幽体の感情と、霊体の情愛の意識レベルにとどまる。
天照大神やイエスのようなエネルギーの個性。
自分のエネルギーの個性を知りたいなら、意識を内に向ける。
感情思考を静める。完全に静まった状態の意識を感じる。
それがあなたのエネルギーの個性。
その個性は肉体を捨て霊界生活も終え、神界に入っても変わらない。
その個性は永遠にあなたのものなのだ。
より純粋になったそのエネルギーとして存在する。
それは独特の個性がありながらとても美しく、心地よいものである。
イエスも天照も、ずっと霊視していたくなるほど、その意識は安らぎに満ちあふれている。
人の本質もそのような安らぎの愛のエネルギー。
しかしそこに感情や、動物的情愛や、エゴや、思想や想念によって汚れており、
その純粋性が消えて隠れてしまっている状態。
その汚れを取り除き、本来の純粋で美しいエネルギーになっていくことが霊的成長というもの。
幽体から霊体へ。そして霊体から神体へ、
という過程は、純化していくようなもの。
汚れを落としていく作業。
不純物を取り除き、純粋なエネルギーとして現れるようになること。
汚れたダイヤモンドの原石を磨いて行けば純粋な輝きを放つ。
人の魂も、汚れを落として磨いていけば、天照やイエスのような神界の高級霊のような、
美しいエネルギー意識となっていく。
もちろん意識なので人間的な姿はなく、人間的な感情もエゴ性もない。
まったく感じられない。
エネルギー体として大いなる意識として存在している。
個性がある。
ということはつまり、宇宙の創造神ではないということがわかる。
彼らもまた神への段階を登る途中とも言えるのである。
それほどまでに神への道は永遠に続く。
我々が神と思っている存在でさえ、まだ途中段階なのである。
われわれがこれから巡る道はどれほど長いのか。
何百年何千年登って到達したと思ったところで、ブッダの足先までしか登っていなかった。
そんなようなもの。
人間が高級霊になるにはどうしたらいいか。
自我を捨て消し去り、純粋な意識として目覚めるだけ。
感情も捨て、想念も捨て、信念も捨て、自意識も捨て、
異性愛も捨て、情愛も捨て。
動物的な人間性をすべて捨てたとき、そこにただ残るものがある。
それが純粋なエネルギー、神体である。
それがあなたの本質。神なるあなた。
神はあなたの内にいた。あなたは神だった。
その純粋な意識に目覚めることが重要。
もし目覚めれば、眠っていた神体は目覚め、それにより神界での生活が始まる。
あなたは神界に入る許可が許された。
これからは神界の住人として存在することができる。
不可能なことだと思うな。
ホワイトイーグルは可能だと伝える。覚者もそういう。
シルバーバーチも内在する神性を発現していくようにという。
神性が開かれれば、死後は幽界、霊界を飛び越えて神界入り決定。
まあ天照とイエスと仏陀についての霊視の印象は大体、合ってますね
幽体と霊体と神体が同時に存在するかはわかりませんが
幽体は4重になっており、内2重は天に帰り、2重は地の物質に留まると思います
エゴを捨て、魂の純粋性、美しさを追求するのはとても良いことだと思います
その過程で、あなたのおっしゃるように、
幽体から霊体、神体へと変化していく現象を、魂の純化のことととらえました
いつか人は、そのようになれるとよいですね
あなたの良い想いは、きっとみんなに通じると思います
それはとても精妙で浄化された美しい安らぎのエネルギー。
それぞれ個性がありながらどれも美しい。
それを神性という。
内在する神性。
その美しいエネルギーを内在しているのに、それが見えなくなっている。
汚れで見えなくなっている。感じられなくなっている。
その汚れというのは自我、思考、感情、信条、動物性、欲求、
それら、人間という動物に宿ることによって、美しいエネルギーの神性は内に眠ってしまっている。
ではどうすれば内なる神性を目覚ることができるのか。
それは自我を落とせばいいだけである。
そのために、利他的な生き方、奉仕、瞑想、祈り、魂や霊を信じること、
それらが効果的なのである。
それにより動物性が薄れていくと、内在する神性が目覚めてくる。
それはとても精妙で静かで安らかで浄化されたエネルギー。
そのエネルギーを自身の内に感じるとき、それはとてつもない至福である。
その至福に永遠に浸かることが涅槃である。
自身の神の本質に溶け込むのである。
それが本当の悟りと言われるもの。
あなたの言う、「精妙で静かで浄化された美しい安らぎのエネルギー」という表現や感覚は、まさにその通りだと思います
解脱されたようですから、どうかそのまま、精進して下さい
動物性を落とすことなのである。
性的行為、肉食、快楽、それらは肉体性を強めてしまう。
動物性が強まるとどうなるか。
内在する神性が感じられなくなってしまうのだ。
なので霊的修行者は、禁欲、菜食、肉体を滅するような修行を行う。
それは確かに正しい。ただそれが全てではない。
それは霊的初歩の段階でしかない。
もっとも大切なことは、日々の内面の清らかさと静寂と精妙な美しさを意識して生活すること。
そのためには感情の統制と、真善美の思想を意識して過ごす。
それが一番大事。
自分は肉体ではなく霊的存在という自覚もとても効果がある。
自分は魂である。霊的世界こそ実在という意識。
それによっても肉体性は薄れる。
瞑想もとても効果的。
肉体性を消し内なる精妙なエネルギーを感じる方法である。
そのエネルギーは瞑想の熟達とともに、幽体エネルギー、霊体エネルギー、神体エネルギーへと深くなっていく。
最初は、感情のごちゃごちゃしか感じられなかった、それは幽体エネルギーを感じていたのである。
瞑想が熟達してくれば神体エネルギーである、愛と安らぎと調和の精妙なエネルギーを感じられるようになってくる。
瞑想によって意識が肉体レベルから神体レベルに移行していく。
感情の統制や真善美の思想だけでもいけない、
瞑想だけでもいけない。
この3つをできるかぎり可能な限り、努めていく。
それは並大抵の精神力では無理だろう。
まず普通の人間には間違いなく不可能。
しかしそれくらい自分に厳しく戒めなければ、カルマは終焉しない、
輪廻を解脱しない、悟りを開けないのだ。
ゲームして遊んで快楽的に行きるのは別に構わない。
しかし反面でそれと同じくらい霊的修行を行うべきだ。
もし酒を飲んだら、次の日は聖書を読んで神に祈ったり、
自慰をしたら瞑想をしたりするんだ。
人は肉体がある以上、禁欲は不可能である。
なら、それと同じくらい霊的修行、真理探究を行えば、いいわけである。
わたしもそれにより悟り開いた。
集中的な瞑想により悟り開くまでは、毎日酒を飲んでいた。
それにもかかわらずクンダリニー覚醒は起こり、超能力や霊視力が起こるようになった。
自慰も毎日していたにもかかわらず。
それはたぶん、誰よりも霊的成長したいという思いが強かったから。
禁欲できない自分の愚かさ弱さを何度ものろったし、スピリチュアリストでありながら
そんなことでいいのかと反省もした。
なので今でも、酒も自慰もしないほうがいいという思いはずっとある。
もしそれを許してしまえば堕落一方である。それが良くないことと自覚することで
さらに成長するのだ。
そして瞑想中の覚醒体験がおこり悟りを開いてしまった。
今生が最後となんとなく思うスピリチュアリストと違い、
解脱した感覚があった。自我消滅してすべてのカルマが終焉した感覚があった。
元スレ:https://fate.5ch.net/test/read.cgi/spiritual/1576446477/
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