それらを見直すことが,今起こっている世界の諸問題を解決する糸口となるのではないかと期待される。
わしがほぐしてやるぞい^_^)
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1590633942/
その一方で精神性に基づいた成長には限界はありません。
記憶や思考には限界がなく、精神文明には無限の成長が可能です。
限界はあるでしょ
精神文明は滅んだも同然
HDDの容量に縛られるようなもの
>
薬や物理的な刺激で感情を操作できるようになれば
人間はロボットではありませんよ
人間が動物的存在である以上
精神が狂ってきます
人工物ばかりに囲まれた生活をしていても人間の精神は狂ってきます
自然に囲まれた生活が一番動物的であり人間の精神も落ち着き安定するらしいですよ
王仁三郎は、大本弾圧によって、この世から宗教を根絶する型示しを行なった。
『日月神示』には「教えではなく道でなければならない、今までの宗教は全て潰れる」と示されている。
白峰氏は次のように述べている。
「……お釈迦様が説いたものだとしても、仏教ではないのです。
キリストもそうですが、全部、人間としての在り方、自然との在り方を説いたのです。
本来はみな「道」なのです。
それが学問や宗教という枠に閉じこめられたから、おかしくなったのです」
「神、もしくは仏の存在が自明のものとなれば
私たち人類の一人一人がその摂理のもとに素晴らしい人生を送れるようになるでしょう。
そのことによって、初めて私たちはいかなる精神的苦痛もない平和な社会を具現化することができるようになると思うのです」
「いかなる精神的苦痛もない平和な社会の具現化と言うと……?」
「飢えや、病や、戦争や、差別といった、人間社会に巣くっているネガティブな要素が一切存在しないような世界、
言わばユートピアの実現とでもいいましょうか……」
「つまり、人間にとっていかなる不幸も存在しないような社会を構築するために神の実在を人間が願望しているというわけですね」
>>98
こうした「現代の自由経済社会」を否定する連中は、
全て共産主義に操られてる人形でしかなく、
「世界の識者」なんてものではけっしてあり得ない。
ちっぽけな自己満足の為に人類の歴史を歪めようとする大バカ者でしかない。
金を貰って騒いでるグレ太とか見れば分かるが、
この連中は必ず政府を攻撃する。
道理で考えれば、経済を回してる民衆こそを教育すべきだろうに、
その民衆を煽動して政府を悪とする。
勿論、思想は自由だが、
掲げてる大義とは真逆の事をしているのを自覚すべき。
(^。^)キリスト教と仏教が同じ等というデタラメも是に同じ。
Maria氏の世の中の見かた
その人のものの見方でしかないのですよ
承狂さんのものの見方も分かりました
まぁ、判ったと思うんなら、論理的な反論をしてみては如何ですかな?(笑)
>>121
承狂さんはあくまでも中立的なものの見方ですね
キリスト教的な考え方でもなく共産主義でもない
仏教に深く精通してる
>>123
俺は元、だから「精通」というのは、誤りだね。
思想的には中観派に足を付けながら仏教とは別ベクトルの諸々へ手を伸ばした形だ。
まぁ、思想、価値観、世界観は人の数だけあって、これ等全てが影響しあって
多層多重多角とニューロンのように絡み合って機能してるので、
人類社会を、一つの意識複合体として考えると、キリスト教的な、
或いはアンチ近代合理主義的な安易な二元論で語るのは、
この複合体を貶める、非常に傲慢な白人的視点と言えますね。
現代日本人の女性が、近代の男性中心の白人社会的な世界観を、
今更宣伝するというのは、どういう心理か説明するのも何ですので省きますが、(笑)
あなたにそう思うよう仕向けた側は、全く別の意図があるであろう事も認識すべきでしょうよ。
(^。^)あと、そこの変質者は仏教徒のふりをしてるだけのゲスだから、関わらない方が良いよ。(笑)
>>124
まあわしのことを言うておるのであろうが、
おぬし人の信仰にとやかく言えるほど偉くなったんかいの?
わしの信仰にケチをつけられるのなら言うてみい?
ゲスだの関わらない方がいいだの批評するのは別にかまわんがの^_^)
本当に満たされてると感じてるようなのが
日曜で自粛も解除されてんだから
スレタイが気になり来てみました。
Mariaさんがこの世を憂いている気持ちは
よくわかるのですが、そうすればするほど
この世の矛盾、望まない事態が増えていくように
思えます。
人生がうまくいっていると思っている人は、自他共にある精神性など
求めないでしょう。
理想的な社会があればよいとは思いますが、
今回のコ〇ナ自粛での近隣の家族の振る舞いをみて
それはないな、と思いました。
なにかを感じるなら、その私自身にこそ
もっと気づくべき何かがあるのではないか?
と思って生きています。
麻は神道には元々欠かせないものではないのかのう
わしは行く行くは日本も解禁すべきじゃと思うがのう
>>138
日本産の麻は古代から麻薬性のない害のないものです
害があるのは外国産の麻です
その害のない日本産の麻でさえG〇Qは禁じたのです
害ってどんな害じゃ?
そのままの意味です
麻薬性です
>>141
大麻は日本の法律では「大麻取締法」で規制されておる
科学的知見で痲薬ではないのじゃよ
覚せい剤等の痲薬は、「麻薬及び向精神薬取締法」で禁止されておるのじゃ
だから私も麻薬性と書いたのです
ではおぬしの言うTHCの麻薬性には、具体的にどんな害があるかを教えてくれるか?
>>144
大麻は多幸感などをもたらしますが
人によっては
例えば精神症やパニック障害の人は余計に症状が悪化しますね
依存性があります
>>145
まあ諸説あるじゃろうがそれは置いといて、
では訊こう。
今人類の多く、大多数というてもええじゃろうが、酒を嗜んでおる
人類はなぜ酒を飲むのじゃと思う?
同じく多幸感を得る為でしょう
ストレス発散の意味もあるでしょう
ただ私から見れば酒も害のあるものですが
>>147
そう
もちろん害もあることは周知の通りじゃ
しかし禁止も制限もされておらんのはなぜじゃ?
それは知りませんね
>>149
論理的に考えたらわかるじゃろ
酒にはメリットもデメリットもあるが、
メリットの方がデメリットを上回る、デメリットは注意すれば問題ない、
と社会がみなしておるからに他ならん
サッカー
ベンゲル元名古屋グランパス監督(フランス)
日本人はヨーロッパを美しく誤解している。
しかし実際のヨーロッパは全然違う。
日本が東京のような大都会とすれば、ヨーロッパはアフリカのサバンナのようなところだ。
治安が悪いのはもちろんのこと、日本人と比較すればヨーロッパ人の民度は恐ろしく低く、
日本では当たり前に通用する善意や思いやりは全く通じない。
隙あらばだまそうとする奴ばかりだ。
日本と違い階級社会である為、会話の全く通じない無知な愚か者も多い。
私は、時々、欧州事情に疎い日本人が欧州に行ったら、
精神に異常を来たしてしまうのではないか?と心配することがよくある。
欧州について何も知らない日本人が欧州に移り住むというのは、都会の快適な場所に住んでいる人間を、
ライオンがうようよいるアフリカのサバンナに丸裸で放り込むのと変わらないだろう。
悲惨な結果になるのは目に見えている
突然ですが、ちょっとした心理テストです。
空を風船がフワフワと飛んでいる光景を思い浮かべてみてください。
その風船は突然速度を上げて飛んで行ってしまいました。
さて何故でしょう?
我々日本人を含む東洋人の多くは、「風に吹かれて飛んで行った。」と答え、
欧米の人たちの多くは、「風船から空気が出たため飛んで行った。」と答えるそうです。
実はこれ、以前某テレビ番組で取り上げられた「東洋と西洋の文化の違い」を表す例です。
東洋人は、自分と周囲とのつながりや関係を見、行動は周囲からの影響が大きいと考える傾向が強いそうです。
一方西洋人は、対象となっている物(ここでは風船)
それ自体が行動をコントロールすると考える傾向が強いそうです。
もちろんこれはあくまでも傾向の話なので、個人差はありますが。
大まかな言い方をすれば
東洋人は利他的で他者を思いやる
或いは他者に影響されて行動する人が多く
西洋人は利己的で自己中心的で自分勝手
もちろん傾向ですが
今世界の多くの国で大麻が解禁の方向に向かっておる理由は、
社会が大麻もそのようにみなし始めたからじゃ
言葉を変えると、今までの科学的知見には間違いが多くあり、
それを無視して嗜好する方が社会にとってはメリットが大きい、とみなしたからじゃな
つまりそこにはそれなりの合理性があるということじゃ
まあわしが言いたいのはここまでじゃ
あとはおぬしが自分の頭で考えてくれればええ^_^)
失敗だと思ってないけどね
物質文明の問題は「現象世界」が表現されたものに過ぎないのに
それが「実在である」と思ってしまっている事です。
既に自己が無限であることを知らず、
「表現された世界」に過ぎない「現象世界」に
無限性を固定しようとして執着する。
科学や物質文明の発達は
この「執着」を増加させできたことは否定できません。
その執着が、世界の諸問題の根源ではあります。
もちろん精神文明だけでは足りない
でも本来物質的なこととは精神的なものの
後についてくるものの筈です
精神文明をベースに考えるべき
西洋文明は、物質文明を発達させてきました。
競争主義、効率主義、個人主義が、それに拍車をかけたことでしょう。
それは、見せかけの実在の大いなる功績ではあります。
しかし、そろそろ人類は
物質文明を、正しい「精神文明」の
統制下におく時期が来ているのではないでしょうか
物質文明としての西洋、精神文明としての東洋
この二つを内包する、
この「日本」という国が
その使命を担わなくてなならないのではないでしょうか
学校や会社でも他者を蹴落としでも上に上がるものが偉いとされています
そして上に上がれなかった者は落ちこぼれとされ
人生の落伍者のように金銭的に貧しい生活を送ります
エゴ(EGOH)からエヴァ(EVAH)へ 地球が変わる・人類が変わる 船井幸雄 著
エゴ(EGOH)とは、ある惑星の住人の集合意識が、「エゴ、対立、競争」をベースにしている社会。
それに対してエヴァ(EVAH)とは、集合意識が「愛・調和・互恵」を
ベースにしている社会ということを、船井氏に伝えてくれたそうです。
競争は善と考えるのは、エントロピーは増大すると考えるのと同じくらい、
地球上のある時期、ある場に条件を限定したルールで、
マクロに世の中全体の諸現象から考察すれば、まちがっていると考えた方がよさそうだとも述べています
EM―Xの琉球大学の比嘉照夫教授は、「人間も自然も競争より協調した方が、
はるかに効率的に生きられ成長できます。
たとえば、人は学び知ることにより成長します。
競争社会では、自分が学び知ったことはまず学会で発表するとか、
特許権など権利で保護されないと、他人には教えたがりません。」
と船井さんに話しています。
人間の意識レベルが高まり、社会制度が変われば、競争を考えなくてもより社会も可能です。
日米欧などの企業社会の第一線もしくは世の中の正しいルールでは、すでに「競争は善」ではなく、
「競争は悪」という考え方が21世紀の社会では定着しはじめています。
(永続可能な社会)の基本理念
非対立(謙虚、調和)
・ 抗議しない、要求しない、責めない、決めつけない、主義主張しない
・ 事実実態を伝える、具体的な提言をする
・ よく聞く、理解する、共に考える、気づくまで待つ など
実践
・ 気づくチャンスをつくる、気づく邪魔をしない
・ 簡単にできることから始める、無理をしない
・ 自分の実践を通じて伝える、押し付けない
・ 自分が変わることで周りが変わり、社会が変わる など
世の中には奇跡やフシギはないはずです。
それらの現象も「意識や意思を含めてすべては波動であり、存在である」と
考えるとすぐに説明がつき、理解でき納得できます。
(松下幸之助)
まあ、日本は、西洋の民主主義を、それをそのまま、取り入れても、うまく機能せんわね。
それは、ヨーロッパや米国では、当てはまるかもしれんが、
日本では、日本的な民主主義を作り上げんといかん。
そういう努力をこれから日本人は取り組み、つくり上げんとね。
でないと、国民に根付かんね
(松下幸之助)
聖徳太子さんのな、あの『十七条の憲法』の第一条に“和をもって貴し”とあるね。
人間は、お互いに仲良くすることが大切であって、争いや戦争などしてはならない、
和の精神を貴び、平和を愛好しなくてはならないということだと思う。
そういうことをいろいろ考えてみると、日本人には、知らず知らずのうちに、
和の心というか、精神が培われていると
日本人は、もともと、そうした和の精神を民族の伝統として持っているのであり、
そのことを忘れてはならんな。
長い歴史を通じて受け継がれてきた”和を貴ぶ精神”、
それをはっきり認識し、その上に立って、
平和というものを求めていくことが、きわめて大切ではないかと思うな
思い上がった発言と行動で
周りを傷つけたと思う。
現代日本が抱える病
会社に行きたくない病
複雑な人間関係
労働のストレス
ストレスによる自殺
金稼ぎの為だけの出社
https://momonestyle.com/i-do-not-want-to-go-to-the-company
自己愛性パーソナリティ障害
誇大な妄想、賞賛への欲求、共感の欠如を特徴とする。
自分の能力を過大評価し、自分の業績や能力を誇張する。
自分が優れて独特であり、または特別であると考えている。
自分の価値および業績についての過大評価は、しばしば他者への過小評価を含む。
患者は大きな空想―圧倒的な知能または美しさについて賞賛されること、
名声および影響力をもつこと、または素晴らしい恋愛を経験することにとらわれている。
自己愛性パーソナリティ障害者は賞賛を受ける必要があるため、
自尊心は他者からの肯定的評価に依存し、このため通常は非常に脆弱である。
自分のうぬぼれの感覚(誇大性)を守るために、せまい世界に引きこもったりすることがある
現代日本が抱える病
パニック障害と鬱
今を生き辛い現代人への警告
http://diamond.jp/articles/-/3322?display=b
突然、強い不安とともに動悸や息苦しさ、冷汗、吐気などの
発作(パニック発作)におそわれるパニック障害は、
現代において「うつ」と同様、多くの方々が悩んでいる問題です。
初めてパニック発作におそわれた人は、身体的な問題ではないかと
考えて内科などを受診することが多いのですが、
検査を行なっても特にその原因と思われるような異常は見つかりません。
新しいタイプの「うつ」では、このパニック障害との境界線はかなり曖昧で、
両者が合併していると診断されるケースもあれば、
パニック障害から始まって後に「うつ」が徐々に現われてくるケースもあります
「死ぬかもしれない」不安は、なぜ起こるのか?
パニック障害は従来「不安神経症」と呼ばれていたもので、
その特徴である発作(パニック発作)は、もともと「不安発作」と呼ばれていました。
このことからもわかるように、パニック障害は強烈な不安を伴っているところが最大の特徴です。
この不安は「このまま死ぬかもしれない」と感じられるようなものであることが多く、
それがあまりに強烈であったために、
予期不安と呼ばれる「またいつ発作が起こるかわからない」という心配におびえ、
生活にもさまざまな支障を来たすようになります。
それにしても、なぜ「死ぬかもしれない」といった不安が、
わざわざ自分の内部から起こってくるのでしょうか
「病というものは、何らかのメッセージを自分自身に
伝えるべく内側から湧き起こってくるものである」、
あるいは「病は、その中核的な症状によって、自分自身をより自然で望ましい状態に導こうとしている」
という見方で「うつ」について考察しましたが、
ここでもその考え方を用いてみましょう。
すると奇妙なことに、「死ぬかもしれない」と自分自身に思わせることに
パニック障害の意味がある、という話になってしまいます。
さて、これはいったいどういうことでしょうか。
パニック発作や予期不安は、特に地下鉄や急行・特急電車の中で出やすい傾向がありますが、
同じ乗り物でも、地上を走る各駅停車の電車やタクシーなどは比較的大丈夫なことが多いようです。
これは、地上なのか地下なのかによる「閉塞感」の違いや、「降りたい時にすぐに降りられるかどうか」
という点が重要なポイントになっていることを示唆しています。
ここからある大切なことが推測できるように思います
つまり、その人はすでに心理的にいまの生き方に「閉塞感」を感じ、
「降りたい時に降りられない」レールの上を走っているような
人生になってしまっているのではないか、ということです。
そうだとすれば、まさに同じような状況が物理的にもたらされた時に、
その人は心理的・物理的に二重に「閉塞」させられるわけで、
それに反発して発作が起こりやすいのも不思議はないと考えられるのです
駄目ですね
相変わらず躁状態と鬱状態を繰り返しています
安定しないのじゃな
周期はどのくらいじゃ?
双極性の診断も受けておるのか?
>>176
周期はまちまちですね
診断はされてます
ただ最近は診療内科にも精神科にも行ってないですね
>>177
お仲間じゃな^_^
通院しておらんのは何か考えがあってのことか?
単にお金を払うのが馬鹿らしくなったからです
>>179
治療の効果が芳しくなったのかのう
やたら薬を大量に処方する医者も多いからのう
>>180
行っても薬渡されるだけですからね
何の相談も乗ってくれません
あの人達は薬で生活してるので
当然といえば当然かもしれません
医は仁術ではなく算術になっておるからのう
特に心療内科分野はひどいのじゃ
しかしちゃんとしたいい先生もそれなりにおるぞよ
わしの今の先生はすごくいいと思っておる
寝屋川市駅前じゃが
寝屋川はちょっと遠いですね
京都はどこの医院が良いのか分かりませんが
なるべく病院に行かず自力で治したいと思ってます
詳しい住所は言いたくないじゃろうから
今度病院行った時に、京都市内周辺とかでおすすめのところないか訊いてみるぞよ^_^)
あまり役には立てんかもしれんが
ありがとうございます
そのお心だけでも嬉しいです
死は生命にとって最高の発明――。
こんな至言を遺した男の思想には、日本由来の「禅」が深く関わっていた。
なぜ内部基板にまで美しさを求めたのか
これは、11年10月に亡くなったアップル創業者スティーブ・ジョブズの言葉である。
製品の外装だけでなく、内部のマザーボードにまで美しさを求めたジョブズは
チップや回路をもっとシンプルで魅力的な配置にしたいと考えた。
技術者たちはマザーボードをのぞく者など誰もいないと反論したが
これに対しジョブズが放ったのがこの言葉であった。
製品の本質を重視する彼の精神は、
禅の一派である曹洞宗の開祖・道元の教えに通じるところがある。
たとえば道元の教えを弟子たちがまとめた
『正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)』(岩波文庫など)には
「実徳を蔵、外相を荘(かくしてかざらず)」(内面をよくして外面を飾らない)という言葉が出てくる。
実際、ジョブズと禅には深い結びつきがある。
彼は青年時代から禅と接し、曹洞宗の僧侶である乙川弘文(おとがわこうぶん)老師に師事していた。
カウンターカルチャーが全盛を迎えた1960年代から70年代前半、
海外の若者たちは物質万能主義に疑念を抱き、
精神世界に関心を向けた。
ジョブズも、72年に大学に入ると東洋思想に傾倒していく。
なかでも仏教や禅には強い影響を受けた。
後年彼が語ったところによれば、「抽象的思考や論理的分析よりも
直感的な理解や意識のほうが重要だと、このころに気づいたんだ」
(ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズI』講談社)という。
いつの世も物質に恵まれ豊かな状況下では人の心は乱れ、
他の人や生きている環境への配慮を忘れ慢心し、努力をしなくなり、
手軽に自己の都合だけで生きるようになります。
厳しい自然環境の中で生きるなら、
大自然の掟を学んで自然にマナーも身につくのですが、現実はぬるま湯生活。
現代社会がもたらす物質文明の中で、豊かで便利な生活にすっかりと慣らされてしまっている私たちは、
直接自分に影響する物質的なものごと、つまり贅沢や利便性のみに敏感になっています。
人よりも劣っているか優位にあるかが、大きな問題になるのです。
待遇は気にするけど、仕事で得られる充実感には期待しないのです。
成功した地位に憧れるのも、その地位とともに得られる物質的な豊かさが目的とも言えます。
苦労してこそ手にできる充実感や幸せを、知らない世代が増加しているのです。
なに不足なく育っているので、
希望もなく、夢もなく、やる気もなく、努力なしで、目の前の快楽が得られればいいという感覚が身についてしまっています
どこの家でも思わず一挙に捨てたくなるほど、家の中は使わないモノで溢れています。
シンプルライフってどこの話しですか?と言いたくなります。
整理整頓出来る状態ではなく、バザーに出すために買っているようです。膨大な浪費です。
人は辛さを知って、人にやさしくなれます。気配りができるようになります。
豊か過ぎる物質文明の中で不自由なく成長した人々が作り出している社会の状態は、
新聞の社会面を見ればよくおわかりでしょう。
わが子に対する信じがたい虐待行為の多発。
平気で親を...
平気で教え子を凌辱する。
金の為に人を殺し、万引きを注意すると親が出てきて金さえ払えばいいんだろという態度。
人にぶつかっても挨拶もできない。
電車、バスなど、ところかまわず躾の悪い犬のようにモノを喰い、
モノを投げ捨て、ゴミは散らかし放題、注意するとキレて殺す始末。
この他、あきれるような事が日常化してきています。
西洋文化を取り入れた弊害です
過去半世紀、躾や作法の教育を忘れた社会は人を確実に野獣化させています。
モノが豊かな社会なのに、人の心は混迷を深めていくばかりです。
お互いにやさしく気配りを持って支えあう心豊かな社会を実現させるために
日本伝統の素晴らしい躾や作法の教育が今こそ必要です
児童虐待が殺人にまで至ったケースやいじめによる自〇など、
暗いニュースばかりです。
しかし、なぜ人と人はこうしてまで争いをやめないのでしょうか?個人の虐待やいじめに始まり、
国同士でも争ってしまうことを考えると、人間とはそもそもが好戦的な存在なのかもしれません。
いじめにしても児童虐待にしても、自分の攻撃性を制御、コントロールできずに、
他人に向けてしまうといった構造は同じです
いじめは大人の中でも存在し、パワハラやセクハラがその構造は同じものです。
いくら、仕事ができないからと、相手を攻撃したり、無視をしたりすることでは
その問題は解決しません。
むしろ、職場の雰囲気が悪くなり生産性が落ちるのが関の山です。
しかし、それでも人間は他人を攻撃することをやめないのです。
愛と平和を唱えることが今必要なのでしょう。
千年以上も前から「和をもって尊しとなす」を憲法の第一条においた聖徳太子の偉大さが
今になってようやく実感できます。
個人のレベルでも、国のレベルでも物理的な争いでは物事は解決せず
両者ともに不利益を被ることは、過去の歴史がすでに証明しています。
話し合いや協力といった
平和的解決でなければ、真の解決は得られないと思います
戦時中の日本
《いわゆる米英流の生活のしみを洗い去り、
皇国本来の国家観に立脚した生活の真義を打ち樹てねばならぬ。
金儲けのための生活、立身出世のための生活、
他人の困苦を顧みず己だけ快楽を得さえすればよいという独楽独善の生活、
精神を忘れ 金や物に捉われた生活、これらは何れも生活の真義を遠く離れたものである》
俺はそんなの嫌だね
誰もそんなこと言ってません
そう思う人が
それを理想とした生き方したら
良いと思うけどな
そういうことではないの?
ガンジーは、今の社会の一番の問題は機械に頼りすぎていることだと主張しています。
つまりこのシステムは、機械の進歩に合わせて、毎年生産量を増やして行くことができないと
人がクビにされていく、そういうシステムだったのです。
そうやって日本は、戦後から今まで経済を拡大してきました。
戦争直後は焼け野原でいろいろなものが不足していましたから
毎年生産量が増えるのはよいことだったかもしれませんが、
これだけモノが溢れた時代になるとこれ以上生産量を増やせなくなります。
だから「仕方がないからクビにしよう」という方向へ圧力がかかるわけです。
それで今リストラされる人が増えていますし、
あるいは大学を卒業しても就職先がないという状況が起こっています。
そういう状況になり失業している人が大勢いれば、今度は賃金が下がっていきます。
たとえば今まで時給千円を支払っていた工場があったとして
、八百円でもいいから雇って欲しいと言う失業者がいれば、
じゃあ時給八百円で人を雇おうか、ということになります。
つまり今のシステムというのは、資本家がどんどん得をするようにできているわけです。
そして労働者のほうは、労働力を買いたたかれて、しかも機械が進歩すればするほどイスがどんどん減っていく
イス取りゲームに参加させられているようなもので、悪い条件でも働いてしまいます。
悪条件で朝から晩までこき使われて、奴隷のような状態に陥っているわけです。
ガンジーは言います。
「機械の持つ根本的な問題に気づいて目覚めなさい。そして機械に頼ることをやめさい。
機械に頼ることをやめたほうがむしろ、
私たちは本当にゆったりとした人間らしい生き方ができるのです」と。
むしろ無能が人類や社会の足を引っ張るようなことがあってはならないの
悔しかったら勉強するしかない
ノルマを課せられてこれだけ売ってこいと言われ、
ノルマが達成できなければあなたの替わりはいくらでもいるよと言われます。
本当におもしろい仕事、自分がやっていて誇りを持てるような仕事というのがなくなってきています。
その結果、心を病み、自〇する人も増えています。
このように全ての問題が、
近代機械文明を人々が良いことだと思って受け入れたことに端を発しています
だからガンジーはそういったことに目覚めなさいと主張し、
イス取りゲームに参加していかに残っているイスにしがみつくかを考えるよりも、イスの数を増やし、
手仕事や農業をしながら、みんなで協力しあって生きていく生き方をしていこうと訴えたのです。
そして、その生き方は農村にありました。
ガンジーは農村を中心とした社会で、大地の恵みを手作業でみんなで加工して、
みんなが協力しあう、そういう生き方を目指したわけです
ガンジー・ジーは娘さんが異教徒と結婚しようとした時に反対したらしいし、
民族主義者としてヒンドゥのアヒンサという教えに従って、非暴力主義を貫き呼び掛けた方。
つまり、共産主義のような皆が平等な社会なんてものは、全く考えてませんでした。
またカーストがヒンドゥの教えにあるのは常識でしょう。
つまり、ヒンドゥ教徒として、異教徒の支配、人種差別と戦った方であり、
現に、日本の頭山氏という、当時の右翼の有力者に
「方法は違いますが、共に戦って行きましょう」という手紙を送っています。
「ガンジーは平和主義者」というのは市民活動屋さんなどの共産主義勢力がよく使う言葉なので、
騙されないようにしましょう。
だいたい、グレ太郎とか市民活動屋さんみたいに、
綺麗事を言う連中ってのは裏が真っ黒なんだよ。(笑)
(^。^)てか、世の中綺麗事だけで渡れるような甘いものじゃあないしな。(笑)
国民総生産で世界3位。極東の世界の端っこの島国にしては出来過ぎと言っていいでしょう。
戦争に負け、日本は焼け野原でした。
全員が貧しい時代、そんな時にみんなが馬車馬のように働いたとしても
それは誰も疑問に思いません。
みんなが生きることに必死でしたから、必死に働くのは当たり前でした。
必死に働くのは貧困から抜け出すためでした。
でもそういう時代が終わり、社会が安定し、物があふれる時代になっても
みんなは余裕を持って生活するということをしませんでした。
なぜでしょうか。
外国行けば良いだけだろお前が
というわけで日本は会社組織に依存するし、
会社組織のブラックなルールを真面目に守っちゃうんですね。
でも、これは、ブラックな会社に個人が依存する理由にはなっても、
日本全体が社畜になる理由にはなりません。
日本の社会全体が社畜になるのはまた別の理由があります。
それは「金は穢れている」という日本の価値観です。
飽食の時代と呼ばれ
人類は物質文明を発展してきました
しかし人類の欲望は満たされません
人間は自由なので欲望をいくらでも追究していける
しかしこれでは宇宙や地球 人間の為になりませんし地球環境も保てません
本当に人類や地球のことを考えるなら
どこかで歯止めをきかせ動物や自然との共生をどこかのタイミングで考えなければいけません
そしてこれこそが叡知なのです
我々の時代は、物質文明が発達した御蔭で、生活は快適になりましたが、代わりに精神力や、
精神からくる生命力が怠惰になる傾向を帯び、科学が発展し、大規模に、分業化し、専門化するにつれ、
人類だけの幸福を追求するあまり、全体の地球環境や、全宇宙的視野を失い、
利己的視野や思想、観点が生まれ、自然な物質力の制御を失い、温室効果等の環境問題を生じるに至っています。
現在の物質主義の、このような傾向は、そっくりそのまま、
アトランティス時代の、「気孔術」主義の失敗にみることができます。
現在と同じように、人類は、過去でも、気孔術を、利己主義的に用いた為に、
地球環境の保存体系を著しく変えてきたのです。
つまり、人間が変わるのと同様に、地球環境も変わってきました。
問題は、そのことに、人類が自分でした行為の大きさに気がつかないことです。
そして、アトランティス大陸は、現在の水没地域のように、徐々に環境破壊が進んで、水没していったというわけです。
ノアは、アトランティス時代の最も賢い預言者で、人類の運命を預言により予感し、
予め、アトランティス時代の技術を集め、7人の優秀な弟子を選び、引き連れて、水没の難を免れ、東の方に移動し、
現在の中国とインドの中間辺りに、アトランティスの文明を基に社会をつくったといいます。
ノアの箱舟とは、恐らく、ノアの集めた教えのことで、気孔術を基にした、預言術のことだと思います。
つまり、ノアの箱舟とは、人類救済の教えで、
アトランティス大陸の水没と同じように、二度と同じ過ちを犯さないような教えで、
そのような教えを広めることにあったと思います。
現在でも、地球のことを、宇宙船地球号とも呼びますが、我々人類は、
いわば、地球環境の守り手である船長でなければならないという教えのことだというわけです。
なるほど?
アトランティスは強大な軍事力と科学力を持って世界を掌握しようとしていました
しかし現代と同じような物質主義に走った為に自然破壊の報いを受けて
自然災害で滅びました
人類は一万年前と同じ過ちを繰り返そうとしています
それで他ならぬお前は救われるのか?
https://www.keiomcc.com/magazine/report191/
今、世界のトップリーダーたちは「東洋思想」をこぞって学び始めています。
それはなぜでしょうか。
はじめに「東洋思想とはどのようなものか」をきちんと定義し、解説しておきましょう。
私の言う東洋思想とは「儒教、仏教、道教、禅仏教、神道」の五つの思想を指しています。
日本に八世紀以上存在し、精神性や風土に根づき、息づくことで、
私たち日本人の暮らしの源泉となっている「知的資源」と呼べるものです。
これら東洋思想に共通する特性を、近代西洋思想と対比すると、
両者がいかに「相補い合う関係」にあるのかがはっきりと見えてきます。
西洋は「外側にある(すなわち、誰も見ることができる)真理に迫っていく」
という真理探究方式を採る一方、
東洋では「自分の中にある仏性、神的性に迫っていく」という真理探究の方式を採ります。
西洋思想では、どちらかと言えば「外側」に関心の中心が置かれ、
「誰でも理解できること」「普遍性」を重視し、モジュール化に適しています。
反対に、東洋思想では「自分の心の中」に関心が向けられます。
自己の内なる仏や神に気づくこと、自己の仏性、
神的に目覚めることを重視します。
それだけ精神性に豊んでいるということです。
西洋…外側にある対象に向かう
東洋…内側にある対象に向かう
このように、まさに正反対だからこそ相補(complement)の関係に成り得るのです。
一八〇年前の幕末の思想家佐久間象山は「渡洋道徳、西洋芸(技術)」という言葉で、
両者を対比し、その特性の違いを見事に表現しました。
東洋は『精神』領域に長けているので、そこに資する知見を提供すべきであり、
西洋は『技術』において1日の長がある。
佐久間象山は「両者の得意分野を融合して使うべきだ」と言っているのです。
まさに「西洋と東洋の知の融合」です。
今、時代は大きな転換期を迎えています。
情報のやり取りはほとんどがインターネットを介して行われるようになり、
その量は激増、スピードは圧倒的に速くなりました。
誰もが、どんな情報にも瞬時にアクセスできるようになり、
情報の機密性は大きく損なわれ、ガラス張りの世の中が誕生しました。
加えて、今日では発信者という境界線はほぼ完全になくなりました。
今や個人の誰もが発信者となり「有名・無名」「個人・組織」の区別なく、
あらゆる情報が自由に発信され、それを誰もがキャッチできます。
古代中国の思想家である老子は「戸を出でずして天下を知り、牅より窺わずして天道を見る」
(外に出なくても天下の情勢を知り、窓から外を窺わなくても世の中の道理がわかる)
と語っていますが、私流に言うならば、
数千年前に老子が予測した通りの時代が
今「現実世界」として実現しているということに、とても驚嘆しています。
もう一つの重要なことが「西洋と東洋の知の融合」です。
じつはこれまで私たちが生きてきた時代、社会というのは、
原則として「近代西洋思想」をベースとして形作られていました。
私たちのライフスタイルはもちろん、働き方も、会社のあり方も、
法律、政治、経済の様式まで、あらゆるものが近代西洋思想、近代西洋文明に則って作られてきました。
現代の私たちにとって当たり前のことばかりです。
しかし、そんなパラダイムが古今東西すっと続いてきたかと言えば、そんなことはありません。
実際には150年から200年ほど前に、中世ヨーロッパ社会が終焉を迎え、
産業革命が起こり、近代という時代が始まりました。
そんな近代西洋文明をベースとしたパラダイムが、近代という時代が始まりました。
そんな近代西洋文明をベースとしたパラダイムが、今現在、広く世界を覆っています。
私たちの「当たり前」の根源はそこにあるのです。
しかし今、時代は再び大きな転換期を迎えています。
言い換えるなら、近代西洋文明をベースとしたパラダイムが、
あちらこちらで破綻し始めているのです。
これもまた、今起こっている「変化の正体」の一つです。
これまで全地球規模で世界をリードしてきた近代西洋文明をベースとしたパラダイム。
そんなパラダイムが揺らぎ始めた今日、揺り戻しのように世界中で見直されているのが東洋思想です。
今、世の中では「近代西洋思想的な発送」から
「東洋思想的な発想」へとさまざまな側面で転換が起こっています。
行きすぎた資本主義が格差社会を増長し、世界中で問題になっているのもその一つの表れです。
物質的充足より、心の充足を求める人が増え
その延長でマインドフルネスや禅仏教が世界的に流行しているのもその一つ。
あるいは「所有よりもシェア」という意識が広がり、シェアビジネスが増えているのも
東洋思想的アプローチの一側面と捉えられます
このように今さまざまな側面で東洋思想への揺り戻しが起こっているのです。
もちろん近代西洋文明のすべてが悪いというわけではなく、
あくまでも「西洋と東洋の知の融合」が求められ
そうした動きが世界中で起こっているということです。
世界のトップリーダーたちはなぜ東洋思想を学ぶのでしょうか。
もちろん単なる教養として学んでいるのではありません。
時代を読み解く切り口として、あるいは新しいビジネス発想を持ち得るための
思考の源泉として、彼ら、彼女らは東洋思想を学んでいるのです。
ヨーロッパ中心主義は、15世紀から17世紀の大航海時代に始まる。
当時の文化的先進地域であったインドや中国、
中東と比べ経済的発展が遅れていた欧州諸国は大洋に乗り出し、
アメリカ大陸や東南アジア島嶼部、北アジアなどの植民地化を進め、欧州文化が世界各地に伝播する。
ただし、中東・インド・東アジア・東南アジア大陸部においては在来文明の勢力が強く、
当時は欧州文化があまり浸透しなかった。
しかし、18世紀から19世紀にかけて、欧州の経済発展および技術革新の速度は、
中国や中東、インドの技術レベルや学問レベルの発展を大きく上回り、技術的、軍事的な欧州の優位が確立した。
中国やインド及びその周辺にも列強(西欧・ロシア・アメリカ合衆国・日本)の勢力が浸透し、
欧州文明は世界を席巻する。
この過程で植民地になった諸国では自国の歴史、技術、文化を劣ったものとみなし、
欧州文明を普遍のものとする価値観が広まった。
哲学の始まりをギリシャからとし、それ以外の地域の哲学は傍系のものとする。
欧州文明を西洋として、それ以外の文明を東洋としてひとまとめにする。
欧州の技術、科学が全時代にわたって他文明のそれに対して優位にあったと見なす。
欧州文明は合理的であるとし、それ以外の文明は非合理的であるとする。
外国人から見ると日本は先進国で恵まれているのに、
なぜそんなにも不幸に感じている人が多いのか疑問を感じるみたい。
「豊かさのハードルが上がっていて、幸せの不感症になっているのでは?」と言われるとなんともいえないけど、
男女別の要因では、日本人男性が不幸な原因は間違いなく、
世間体の目が厳しく社会的なプレッシャーがあることと、根が真面目すぎて完璧さを求めるから。
「社会人ならこうあるべき」、「男ならこうあるべき」など身内をはじめとする周りの目が厳しく、
海外では個人主義なので我が道をいく楽観的な人も多いけど、
日本人は真面目なので一定のレールから外れると生きづらくなり、
ヒキコモリを選んだり自ら破滅の道に進む人も一定数いるのが現状。
ほかにも、勤務時間と通勤時間が長く社畜状態なのも、不幸感に拍車をかけている。
しかも、いまの若者は年金ももらえるかわからないため貯金に励み、
余暇のレジャーになかなかお金を使えず、
バカンスという概念がないのも気分転換できずに鬱々してしまうことにつながっている
発展途上国は自〇がほとんどないというけど、それは生きるのに精いっぱいだから。
生きることに喜びや希望を持てるから。
先進国はすでに物質的に満たされているため、それ以上の希望を見つけにくいのかも…。
自〇をするぐらいなら全てから逃げてほしいと切に思います。
心の悩みは金では解決出来ません
競争社会ってそんなに素晴らしいですか?
経済の停滞が叫ばれて久しい昨今。
「がんばろう日本」「絆」「助け合い」は死語になってしまったのでしょうか。
私たちの社会の暖かさは、どこへ行ってしまったのでしょうか。
2011年3月、困難を抱えた人に共感し、助け合うことによって、
この社会は大きな困難を乗り越え、より良くなるのだということを、私たちは知りました。
あれから9年、今日、コロナショックの中で苦しむ私たちの仲間にかけられる声は、大変冷たいものです。
非正規の方々が派遣切りにあっているというニュースが出れば
「非正規に甘んじたのだから自業自得だ」という言葉が並び、
舞台俳優やキャバクラの従業員が困っているという話が出れば
「今まで好き勝手に生きてきたんだから自分で努力しろ」という声が浴びせられる。
本当に冷たい社会になったなぁと思うんです。
なぜこうなってしまったのか。社会に殺気のようなものが漂い、
まるで足を引っ張り合うかのような空気に支配されてしまったのはなぜなのか。
私はここ何年かで大きく進んでしまった、この国の競争社会化にあると考えています。
「競争社会にすることでみんなが努力するようになる。」
「いま怠けている人たちは保護されすぎなんだよ。」
「貧しい人は努力しなかったんだから自己責任だ。なぜ税金で助けるんだ。」
最近は、競争を促して「怠けている人」を含めた全員を努力させようという「競争社会志向」が
私たちの間で高まっているように感じます。
あるいは「怠けて努力しなかった人」へのバッシングが頻発するようになったとも感じます。
生活保護バッシングや貧困バッシングがわかりやすい例でしょう。
「国は敗者に甘くしてはいけないし、敗者は国に甘えてはならない。
平等を求めるのではなく、勝った人には甘く、
負けた人にはさらに厳しくしてこそ、みんなが努力するようになる。」
そうした競争社会の主張が、本当に多くの方に支持をされているのです
あなたは誰ですか?
競争社会化は実は日本を良くしない
競争社会化は逆効果だとすら思います。
一方は車で、もう一方は足かせを着けて42.195kmを走れと言われても、後者は走ろうとはしないでしょう。
明らかに勝てませんから、走るだけ無駄だと思うはずです。
あるいは、生まれつき足かせをつけていれば、走り方すら知らないかもしれません。
しかし、今の日本はこれです。
もし、競争を始めたいのなら、ただ単にスタートの乾いたピストルの音を鳴らすのではなく
その前に平等なルールを整え
私たちをスタートラインにしっかりと立たせるのが先です。
全員に走り方を教え、走る道具を与え、
少なくとも走る意義を見出せる状態にしてから競争をはじめるべきでしょう。
そうすることでどっちも努力するようになるからです。
国をよくできると思うことそのものが間違い
私はいまの日本をサバンナに見立てて「弱肉強食社会」と揶揄しています。
この状態で努力を求めても誰も努力しません。
サバンナではシマウマの子は当然シマウマであり、ライオンの子は当然ライオンです。
さあ、ここで自由に競争してくださいと言っても答えは見えています。
シマウマはライオンに食われるでしょう。
シマウマがライオンを上回って食物連鎖の頂点に立とうと努力するかと言えばしないでしょう。
それはできないからです。
一方のライオンも、シマウマに自らの地位を奪われる危険はありませんから、
何らかの努力もしないでしょう。
このシマウマとライオンからなる競争社会(弱肉強食社会)では誰も状況を変えるための
努力をしていないということになります。日本はこれです。
「誰だって努力すればなんにでもなれる」などといって、野口英世だの田中角栄だの、
様々な例外を持ち出してくる人がいますが、基本的には前述の通り、
シマウマの子は今もシマウマであり、それを覆すことも、覆そうと思うことも日本では難しいのです。
野口さんや田中さんは私のように、絶望を脱する奇跡にたまたま巡り会えたにすぎません。
「一個人」なの
結局は強者が弱者から搾取するためのしくみに過ぎない
やるべき事を間違えていないか?
私は競争そのものは否定しません。
確かに、それは人々を努力へと駆り立てるものです。
しかし、それはそもそも努力できる環境や、努力すれば誰でも競争に勝てるという
状況を作って初めて人々を駆り立てるのです。
私たちは、サバンナの、乾いた風が吹いて殺伐とした弱肉強食社会のなかで
競争を主張するような無意味なことは、今すぐやめるべきでしょう。
私たちがまずはじめにやるべきなのは、競争を強化することではなく、
人々を競争の舞台に立てるように支え、努力できるようにすることなのです。
確かに、子どもたちを親から切り離して、みんな同じ条件で育てることも、
みんなの性格や生まれもった才能を均一にすることもできません。
完全に平等なスタートラインなど不可能です。
でも、だからといって何もしない訳にはいきません。
私たちには、できることがまだあるはずだからです。
一人親家庭で、養育費が払われず、困っている親子に、私たちはまだ何かできるはずです。
家計を気にして、就職しようとしている高校生の少年に、
夢を諦めさせない方法がまだ何かあるはずです。
将来はどうにもならないからと、勉強をあきらめている子ども食堂の少女に、
私たちはまだ何かできるはずなのです。
「怠け者」と突き放すのではなく支えてほしいのです。
完璧な目標の達成が難しくても、それに近づけば近づくほど、社会は良くなるのです。
本当に意味のある競争社会の実現のためには、まずそれしかありません。
ひとりがみんなのために、みんながみんなのために支えあって、
結果的に支えた側も支えられた側も幸せになれる。そんな社会を目指しませんか?
足を引っ張り合って社会が崩れてしまうような、弱肉強食の競争社会ではなく、
切磋琢磨して共に向上する、助け合いの競争社会こそ
私たちが目指すべき社会なのではないでしょうか。
社会が崩れても生きていけるだけ強くなればいいだけ
だからアメ〇カに戦争で負けた
これを説いたのが占い師だってのが皮肉
>>294
まぁ貴方の言うように
この世界は弱肉強食で
弱者は嫌でも強者の言うことを聞かなければいけない
戦争に負けて日本はアメ〇カの言うことを聞くだけの不甲斐ない国に成り下がった
でも全てを周りに合わせる必要もない
日本は日本だけの文明を築いていけるはずです
それが国家です
数十万年前
私達(人間)は意識を持ち
奇妙な世界に居ることに気付いた
そして原始の人達は
この世界は神様が作ったものだと
考えた
それが世界の始まり
宗教は信じることから始まる
けれども科学は世界を疑うことから始まる
科学は世界を解明した
世界は私達の為に造られたのではなく
ただ存在してるだけだった
科学は神様の存在をも否定する
そこから人類の歯車が狂い始める
私達は何の為に存在していて
何の為に生きているのか
世界が分からなくなってしまったのです
>>298
まぁそういうことですね
神は実在しても実在しなくてもどっちでもいい
現代人は心の拠り所が欲しいのです
その為に人間は神や仏を心の拠り所としてきたわけですから
権力者のための嘘を「真実」だと思い込んでいたのだから
その嘘がバレたというだけ
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