なぜ秀吉は朝鮮出兵に失敗したのか…最新技術でわかった驚きの新説
日本史の謎を科学的に解明
歴史では「定説」とされていても、謎に包まれている出来事はいくつもある。
だが、最新の科学を用いることで、真実に近づくことが可能となる。
日本史とサイエンスの融合は、ここまで進んでいた。
■朝鮮水軍に大苦戦
「日本史には多くの謎が残されています。中でも、豊臣秀吉が、あえなく朝鮮出兵に失敗したことは、多くの方が疑問に感じていると思います」
こう語るのは、5月20日に『日本史サイエンス〈弐〉』(講談社ブルーバックス)を上梓した播田安弘氏だ。
播田氏は長く三井造船(現・三井E&S)で船舶の設計技師を務めていた。
その時に得た知見を活かし、現在は日本史の謎を、独自の理論と数式で解き明かすことをライフワークとしている。
(以下略、続きはソースでご確認ください)
週刊現代 2022.06.26
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/96528
朝鮮水軍に大苦戦 週刊現代
_ノ乙(、ン、)ノ あぁはいはいw
>>1
読んだけど、船体の構造とか基本戦術とかじゃなくて、大砲いっぱい積んだ方が強い計算式なんて
なんじゃこいつはとしか思えん
素人のでしゃばりはもうやめてくれよ
>>3
WW1の頃からWW2直前くらいまでは
戦艦の大砲の数とか口径とかで強さを評価してたよね
しかし16世紀末の亀甲船と日本の船団との戦いにその評価法を導入するのは
無理があるかなあ?
>>3
ただ当時のガレオン戦の評価はそれだよね。
あと戦闘員と漕ぎ手の数。
構造とかは江戸末期の日本みたいにあえて技術進歩を許さないなんてことをしなければ、同時代の船はそんなに変わらないからね。
二次大戦の戦艦だって、速度とか航続力とかより、戦闘時の強さを決めるのは大砲の大きさと数だったりするからな。
例えばレーダーとかで劣っていた霧島だってサウスダコタをタコ殴りできていたしね。
>>7
そもそも日本船団が砲撃で撃沈されてたのかって点が問題なのよ
朝鮮軍には金属弾丸の大砲もあったけど、巨大ロケット花火タイプの棒火矢の方がメインなんですね
棒火矢で舟板が破損したから応急修理したというのは日本側記録にも残ってる
もちろんそれは生還してるから記録も残したんだけどね
>>17
そう考えると、李舜臣にどうやってやられてのか
非常に気になる
たまたま弱ポイントにつけこまれたのか
最初に李舜臣が戦った船団は輸送メインで銃火器は配備していなかった
日本側が対策した船団投入してからは勝負になってない
まあ、仮説のひとつとして、みてあげるよ。
日本軍は第3軍を既に準備していた 中部地方を中心とした編成である 当然 第4軍第5軍 第6軍と 毎年のように遠征する力がある
関ヶ原の戦いでも なぜか苦戦されたと 言われていた 日本軍の西国の諸侯が競って関ヶ原まで 進軍してきた 東軍にも当然 朝鮮出兵組が多い 大体 大体そんなに 朝鮮軍が 有利なら名護屋城を 攻撃していたわ
陸地は四川の戦いで分かるように ほぼ明朝鮮両軍は壊滅状態だった
記録だと、中国も朝鮮も秀吉の死を待つしか無かった状態って書いてるからなあ
お前の願望だな
そこまで自信あるなら学会、いやせめて歴史雑誌にでも発表してこいwww
比較的空いていた北、東、南に探検隊出して
調査、交易、移住したほうが良かった
とは言ってもなー
北海道は明治以降開拓するけど予算難で進まず樺太放棄の一因だし
千島は明治以降でも旧軍人家族が移住しては全滅繰り返してるし
太平洋は外洋船無いし
琉球はともかく台湾フィリピンにしても文化違いすぎるし…
そういう訳で出兵の動機そのものが消えたということですよ。
なぜレベルじゃねーよ
はじめから成功する可能性は無かった
秀吉=大バカ
それほど当時の明には負け続けて 争う手段がなかった
まあこれも 某歴史本の編集に関わって知ったことだけどね
役得だね。
俺もそのくちだったが、紙はもう終わりだってさ。
妙な説があるらしいね
秀吉の最終目標は朝鮮でも中国でも無く、
インドを征服したかったんだと
そしてインドにあるポルトガルの本拠地を奪って
ポルトガルが宣教師を通じた日本人奴隷連れ去りなどを
止めたかったんだ、などと
話が大き過ぎるねw
これ以外に信長がフィリピンの征服を検討していた、という話もある
当時のフィリピンのスペイン人防衛隊の人数などを考えると、不可能ではなかったなどと
朝鮮や明の将軍はどれだけ死んだこと
朝鮮出兵という表現がおかしい。
秀吉は朝鮮など眼中になかった。
明を支配下に置こうとしたのだ。
朝鮮はただの通り道に過ぎない。
侵略には強いが、他国に侵略する際は
その海に囲まれているという地の利が
災いするんだろ(笑)
其の為に明は清に滅ぼされる事に成った。
なぜ勝てると思うのかそもそも不思議。
仮説を立てるのは悪いことじゃないけど……
当時の和船は底が平らで、海岸沿いの近海を走るぐらいの性能しかなかった
欧州の外洋船は船底が深く、大波にも耐えれたが、和船ではそうはいかなかったろう
秀吉が病で倒れたのでおしまいになった
朝鮮?まったく問題なく蹴散らしたって記録にある
朝鮮水軍なんてただの丸木舟だったので鎧袖一触、亀甲船はファンタジー船だった
一海戦の船がどうとかで大局に影響があったとは思えんが
秀吉の日本軍は1か月でソウル ピョンヤンまで落としたのに失敗?
秀吉が死ななければ日本領だよ。
>>1
秀吉が死んだから、これに尽きる
秀吉の死の連絡が来る直前の三路の戦い(順天城、泗川、蔚山城)では何れも明軍・朝鮮軍が敗北している
朝鮮側の資料である「朝鮮王朝実録」では、明・朝鮮軍は全ての攻撃で敗退し、三路に分かれた明・朝鮮軍は
溶けるように共に潰え、人心は恟懼(恐々)となり、逃避の準備をしたと記述されている
秀吉が死んだので朝鮮は助かったのだ
また戦役が長引いたのは、寒さと飢え、そして疫病によるものだと考えられる
まず九州中国地方の兵が寒さに弱いのは当然だし、平壌は稚内並みで想定外の寒さだった
さらに稲を作ってたのは半島南部の沿岸部くらいで文化的にも稲よりアワの方が上等とされていた
ちなみに米の本来の意味は粟の実だし、田は単に耕作地であって畑とかは国字だ
しかし一番大きかったのは疫病であろう、例えば日清戦争では 戦死1417人、病死1万1894人(日清戦史)である
近代でもこれだけ亡くなっているのに当時どれだけの兵が病気で死んで行ったかは想像に難くない
詳しいな、勉強になるわ
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